~ 猫の事務所 ~

人と犬や猫がパートナーとして生きていく社会(by 動植物愛好家)

安楽死について②

前回は、動物の安楽死について考えました。

 

今回は、人間について考えたいと思います。

最近の、

京都の安楽死の事件が衝撃的であったからです。

 

安楽死ではなく、

嘱託殺人だということになりました。

 

日本で認められている「安楽死の4条件」があり、

それにあてはまっていないことや、

主治医によるものでなかったことなど、

その他いろいろの理由があるとの報道でした。

 

これらは医師や看護師など医療者の立場から

みたものだと感じます。

当然、必要な見解です。

 

また、新聞を読んでいると、

治る見込みのない病気の人について

安楽死を考えるという選択肢を存在させること自体が、

その人たちの尊厳を傷つけることになるから、

安楽死というより、誰もが生きやすい社会をつくっていく、

というようなご意見がありました。

 

これは本当にそうだと思います。

そんな社会を目指したいです。

 

しかし、

そんな社会になるのはいつのことだろう・・・、

とも感じています。

 

私がもし、

意識はあるのに体が動かない、

目も見えなくなっていき、

意思表示ができなくなっていく、

という日々を過ごしていたら・・・。

 

私は全身麻酔で手術をした経験があります。

手術が終わって、ストレッチャーで病室まで

運ばれている途中で麻酔から覚めました。

ただ、覚めた、とは言っても、

意識があるというだけで、

体は動きませんでした。

周りの人たちの話し声もはっきりと聞こえていました。

でも、自分の体を自分で動かすことができない状況です。

話すこともできません。

 

そのような状態が、この先ずっと、

一生続くとしたらどうだろう・・・。

頭は明瞭なのです。

論理思考もできるのです。

恥ずかしさなどもあるのです。

自意識もあるのです。

しかし、

体が動かせず、目も見えず、話もできず・・・、

そのうち、耳も聞こえなくなるのでしょうか。

 

その状態で、

自分の体を、

他人の都合に合わせて勝手に動かされる、

となると、つらいことがわかります。

一瞬一瞬がつらいと思います。

 

いつ、誰に、何をされるのか予想もつかないし、

嫌でも「やめて」と言えないのですから。

 

それでも、

新薬や新しい治療法に懸けたい、

と思うかもしれません。

 

でもやはり、

安楽死という選択肢もほしいと思います。

 

人工呼吸器をつけるかどうかは、

自分で選ばないといけないと聞きました。

でも、一度つけたら、

外してほしいと言っても外してもらえないとのことです。

 

人工呼吸器をつけた後で、病状が変わり、

苦痛が大きくなることもあり得ます。

 

肉体的苦痛だけではなく、

精神的苦痛についても、

重要なこととしてとりあげてほしい。

 

「日本人は、

体の病気であったり、ケガをしている人に対しては親切だけど、

心の病を抱えている人にはとても冷たい。」

ということを、本で読んだことがあります。

 

精神的苦痛というものの捉え方も同様ではないでしょうか。

 

この事件は、残された私たちに、

本当に大事な問題を投げかけていると思います。

 

安楽死」ということから目を逸らして、

なかったことにするのではなく、

賛成、反対、の両方の意見をテーブル上にのせて

議論していく必要があると思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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